子育てコラム

おけいこ-本当の学びとは?-

2007.11.14

子育て教室ですから、難しい話かなって思われたかもしれませんが、そんなことはありません。学ぶということは本来とても楽しく簡単なことなのです。それがいつの間にかたいそう難しげなもののように思われ、敬遠したくなっていくのは、こどもが大人へと発達・成長していく中でそのようなすり替わりが起こっているからなのです。今日は、「おけいこ」のお話しをそうした学びの真実から見つめ直してみようと思うのです。

赤ちゃんがこの世に生まれて来てから、たくさんのことを学んでいきますね!学びなさいって言わなくても、ものをつかんでみたり、投げてみたり、ひっくりかえしてみたり、好奇心旺盛そのもの。あれが学びの本来の姿なのです。学びに必要なものは、好奇心とモデルです。「あれっ何だろう」という気持ちがあって、「あっ、パパのまねしてみよう」と適切なモデルがあるときに学びはスムーズに起こります。赤ちゃんは生後72時間くらいたっただけで、お母さんが舌を出すと真似をして舌を出すという共鳴動作という行動をします。こうして将来の学びのためにウォーミングアップしているんですよ!そう言えば、いつのまにか、こどもに自分の変な癖や言い回しを真似されていたことないですか?これがりっぱな学びなのです。

こうした学びのために学びの環境を整備してあげることはとっても大切ですが、親がついつい一生懸命になってしまう「おけいこ」はこの学びの条件に合致するでしょうか。こどもの好きなことを学ばせてあげるという場合や適切なモデルがあってのおけいこなら、こどもも楽しく学べるでしょう。お母さんがピアノを弾き、それがモデルになって、弾きたいという思いを叶えてあげるおけいこの場合ですね。でも、お母さんは弾けないけど、あなたはしないといけないよというおけいこや、ピアノも英語も・・と次々に学ばせることは、こうしたこどもの好奇心に基づく学びとは言えませんよね。

実際、こうした早くからのおけいこがこどもの心に傷をもたらす例もたくさんあるのです。お母さんはこどもは喜んでおけいこしてるとおっしゃるのだけれど、実はこどもは、お母さんに逆らえずに、しんどいのに無理しておけいこさせられているという場合です。そして、早くから何かを習得させることは、他の発達や学びに悪い影響を与えることもあるのです。あることを選ぶということは、他のものを捨てるということです。あれもこれも学ぼうとするこどもは、本当はそれが学びたいという意欲からではなく、お母さんに褒められたい、見捨てられたくないというただ1つの思いから来ていることが多いのです。だって、私たちの好奇心だって特定のものにしか感じないのが普通ですものね!

そして、私たちがこどものこれを学びなさい、おけいこしなさいというようにさせる学習を意図学習といい、知らない間に学んでいる学習を偶発学習といいますが、その人の人生を形取っていく大切な学びは偶発学習によって起こることが多いのです。「知らない間にこどもがこんなことができていた!」という発見を必ず親はしてますよね。それが証拠です。おけいこという形をとらなくても、いろいろな経験がこどもの知性・情操を育てていることに気づくことが大切ではないでしょうか。

コノハズクさんから、遊びのすばらしさについてのお話しがありました。遊びは気晴らしとか、学びの隙間のように軽く見られていることもあり、遊ぶことを禁止したりする親もいるのですが、本当は、遊びの方が学びより高尚、高次の精神活動なのです。こどもはたとえば積木を床に落としたら音がすることを知ると、繰り返しその行動をしてそれを確か
て満足します。これが学びです。しかし、そのうち、それに飽きて、新しいことを求めて落とし方を変えて床にぶつかる音が違うことに気づいて狂喜乱舞します。これが遊びなのです。遊びの方が学びを元にした応用であって、この工夫ができることは知的にも高い証拠なのです。

考えてみると今の遊びはみなお仕着せで、本来の遊びの創造性を発揮できるものが少ないわようです。鬼ごっこという遊び1つとっても、鬼と逃げる子という役割行動、鬼にはどう見えてるかを判断しての逃げという視点意識、タッチされても鬼にならないこどもがいては面白くありませんからルールを守る大切さ、タッチされても鬼にならなくていい安全地帯等を作っていく創造性や人間関係への配慮等等、遊びという文脈のなかには、実に多くの学びが埋め込まれていて、知らない間に偶発学習できてるんですよね。学びに大切な条件は、自分の課題が明確になる確かな文脈、流れが意識できるということなのです。

ひだまりさんがおっしゃっていました。「子育ては、社会の中で何よりも大切な仕事ですから決して一人ですることではない、多くの手助けをもらい、いろんな人とかかわり合って支え合うことが大切」だと。学びも一緒なんです。ともすれば、ひとりの、個人の力をつけていくことだけが学びと思いがちで、おけいこにがんばってしまいますが、本当は自分でできることはたかが知れています。むしろいろいろなできる友だちを持って、そうした分散的な関係の中で学びを作っていく、関係を作っていくことが、学びの真価ではないでしょうか。

こどもに習わせるおけいこに悩むよりも、こどもさんがいろんな遊びの中で、人とつながる中で、見つけていった自分にとってたった1つの学びを大切に支援してあげてください。