子育てコラム

楽しく食べる

2007.11.28

わたしは食べ物に関する限りでは、好き嫌いは全くといっていいほどないのですが、どうもひとつだけ苦手なのがプチトマトです。あれってどうしても食べる物に見えないんですよね。あの毒々しい赤、口に入れたときの後に残るしつこい味、いやですね。

わたしが保育士をしていたとき、安くて栄養価のあるプチトマトはよく給食に使われていました。たいていの子どもは喜んで食べていましたが、中には食べぐすらいをする子どももいました。「いいのよ、無理に食べなくても」とわたしは、いたって寛大でした。キュウリが食べられない担任は、キュウリ嫌いの子に寛大でした。

人は誰でもひとつぐらいは、食べて気持ち悪いと思うものがあるのではないでしょうか。ほとんどの場合は、成長するにつれて味覚が変わったり、食べ方に工夫したりして食べられるようになります。子どものころ平気で食べられたものが受け付けなくなったり、子どものころ大嫌いだったネギが鍋物やうどんの薬味に欠かせなくなったりと、人の食生活には変化があるものです。食べ物に関して完璧主義な母親や先生に育てられたら、悪くはないけどちょっぴりしんどいかな。

エピソードをひとつご紹介します。

保育園で、私がトマトが嫌いだということを年長の子ども達に話してありました。でも先生という立場上、「気持ち悪さを隠さず」に食べていました。夏のある日、トマトの大盛り(2切れ!)が出たのです。ふと気がつくと、子ども達全員が気の毒そうな顔をして、わたしをじっと見つめていました。そのとき突然、M君が「先生、見てて」と言うが早いが、ピーマンのてんぷらをパクッと口に入れて、ご飯をかき込み、さらにみそ汁で流し込みました。あっと言う間の出来事で、クラス全員があっけにとられて見ていました。「先生も、こんなにして食べたらいいよ」とM君が言いました。

実は、M君は入園したころ、極端は偏食で特に野菜は全く食べられませんでした。給食のとき、野菜のおかずを見ただけで真っ青になり、ひどいときには食べる前から嘔吐し始めるのでした。おかあさんと相談しながら、例の「一口だけ」作戦や家庭での調理の工夫を重ねて、一年ほどかかってほぼ食べられるようになっていたのですが、ピーマンだけはダメでした。わたしは「大きくなって、食べられるようになったらいいね。今は食べられなくてもいいよ。」とピーマンは免除していました。

それからM君はピーマンを食べられるようになったかって? 話はそんなにうまくいきません。M君は「気持ちの悪いものを食べなくちゃならない」辛さを一番よく知っていたので、わたしに同情して決死の覚悟で秘伝の技を教えてくれただけなのですから。野菜を食べられるようになったと喜んでいたおかあさんや先生の影で、彼は数々の技術を体得していたわけです。

さて、このM君の行動を見ていたクラスの子ども達が次から次へと話し出しました。「わたしはにんじんは小さくして噛まんと飲み込む」「ぼくはコンニャクをわざと机の下に落とした」「ぼくはしいたけを妹のお皿に入れといたことある」・・こういうことも、ああいうこともあって、子どもなりに乗り越えてきた食生活の歴史があるのです。

食べ物の好き嫌いは嫌いなのではなく、その子どもの味覚、嗅覚、視覚にとって「気持ち悪い」と感じられるものなのですから、親としてはどうしても食べさせたいのであれば、当然それを「気持ちいい」と感じられるものにする工夫が求められます。

昔、おふくろの味とよく言いました。同じ煮物でも各家庭で味が違うのは、家族の好みに合わせて、母親が調理方法を工夫してきたからです。年齢を重ねるごとに、その味が懐かしくなるのは、料理を作る母親の心や姿を思い出すからでしょうね。高級レストランのカレーと手作りのカレー、どちらがおいしい?・・・・おいしいってなんだ?

おいしい料理の並んだ食卓を家族で囲めば、楽しい食事が始まるでしょう。子どもが大人になったとき、「お母さんの肉じゃが食べたいな」「これが、うちの味だ」なんて言ってくれる日のことを想定して、料理を楽しんでみませんか。